盗作ではなくて、倒錯です。
それからり・というのは、なんの略だかわからない。
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とうさくしたり・?もんだいというのは、(ほんとうはとうさくでもないのだが)いっぱんにいうとうさくしたり・のもんだいというのは、どうも、さいしょにがっこうきょういくがつくりだしたもののようにおもえる。すなわち、とうさくしたり・のはしりは、しょうがっこうきょういくにみられるのである。
彼の宗教的感覚は、ハナ・モアのような実践的な超絶対主義や彼女の『兼価版知識の宝庫』に反発を感じていたのである。この小冊子のなかには、ランカシャーの単行の少女の例を推賞したものがある。この少女は九才で坑道におろされ、二才下の弟と炭鉱運搬人として働いたものであった。「彼女は嬉々として父親にしたがって坑内にはいり、地球のおくそこに身をうめ、幼女の身で自分が女であるといいわけもせず、そこで、あらくれではあったが社会にとってはきわめて有益な人種である鉱夫たちと
にほんごっていうのは、ほんとうにやだな。まいった。ほんのぶんをうつすのがひじょうにうまくいかない。そもそも、かんじへんかんをしないとまともなぶんにならないというのは、そうとうにくたびれるものなのだ。ぼくのばあい、うつのにいちじかんかかるとすると、さいへんかんするのに、3じかんぐらいかかる。どうして、こんなにもじかんがかかるのか、 それは、わからない。 しかし、なぜだかしらないが、そのくらい、(じっさいには)かかってしまうのだ。かくのに、1ひつようだとすると、へんかんするのに2、3はひつようだ。こまったことだ。それに、ほんをいんようして、かくばあい、なるべくそのほんにのっているのと、おなじなかんじをつかってかこうとおもうのだが、それをやるとひどくくたびれる。なかなかでてきてはくれないのだ。とくに、むずかしいとくべつないいまわしのかんじはなかなかでてきてくれない。うえのれいだと、たとえば、こうふ、なんていう、とくべつよむぶんにはむずかしくないかんじが、なかなかでてきてくれないのだ。けっきょく、たんこうをだして、おっとをだしてというかたちになる。それに、なによりもきついのは、ぜんぶひらがなでかいたのち、さいへんかんしたぶんしょうには、『ふつうは、どうやっても、まちがえないだろう』というようなかんじのまちがえが、ところどころに、でてきてしまうということなのだ。しかし、これは、ぷりんとあうとして、じかんをおいてからよまないとわからない。どうしてこんなかんじなんだろう・とおもってしまうほど、へんなかんじがでてくる。これはひとつには、さいへんかんのときのてまのおおさと、ひらがなのままにしておくつもりがしらないあいだにへんかんしてしまうという(はやくやっていると、こうほがひとつずれてきおくされてしまうことなんかもあるのだが)ともかく、しちめんどくさくて、やったひとじゃないとわからないかもしれないが、いってんぽおくれるところがある。そのおくれかたがみょうなんだ。それで、さいへんかんのてつづきがまどろっこしい。もんだいは、あるはぁべっとではなく、3ばいもてまがかかるということなのだ。