あそこにいるとほんとうに、しにそうになるんだ。いきがつづかない。くるしい。
いつじゃまされるかわからないから、きんちょーしてあせるんだが、それが、つねにそういったじょうたいで、ほんとうに、いちびょうたりとて、あんしんできない。つねに、きをはっていなければならない。しぜんに、そうなってしまって、この、あせるきもちをどうにもできない。あそこにいると、みんなわすれそうだ。すべて、おぼえたことも。
それで、ときどき、なりやがるんだ、そすると、とびあがるぐらい、おどろく。なぜかしんないけど、ほんとうに、びっく、ってするほど、おどろいてしまう。なるんじゃないかとおもっていてもだ。なるんじゃないかとおもっているから・なのかもしれないが、ともかく、それは、さきほどいったように、ほんにんには、どうにもならない。おれには、どうにもできないのだ。それで、ふかいな、びくつくほどのおとが、しろくじちゅうなっているはめになる。ぼくは、おちおちべんきょうなんてしていられない。あそこで、すうがくをやるのなんか、ほんとうに、しなんのわざだ。すうがくにかんしては、ちゅうがくのころから、あにきにやられてたから、なんだが、さんこうしょのふんいきだけで、いらいらするのだ。 ほんとうは、すうがくは、すきなのに。すうがくがすきなのに、あいつらのせいで、すうがくをやっているとき(やってもいないのだが)(やれないのだが、ともかく、それをひらいてつくえにむかっているか、へやのなかにいるとき)、なんともいえない、あたまがつまったようなきになる。これはまえもいったけど、このしょうじょうが、たとえば、しんけいしつなじゅけんせいがいいだしそうなことだとして、ぼくに、それが、にじゅうにむかつくのだ。あのおとをどうにかしろ!! というきもちになってしょうがない。そうすると、ちゅうがくから(じっさいにはしょうろくからなんだけど)あいつにうるさくされてやなおもいをしてへたっているか、はっきょうしていたころのきおくがよみがえってきて、いきるに、いきられない。いきばがないのだ。
ぼくは、このへやにいるかぎり、あいつらをころすか! さもなければ、 じぶんを ころすかのどっちかだ。 それで、いっつも、まよってしまう。あいつらをころせば、ぼくのいっしょうはだいなしになってしまう。きぶんがだいなしになるか、どうかは、わからないが(なんたってうらんでいるもので、そこらへんについては、かんかくがまひしている)・・ともかく、おしまいだろう。かといって、このままでは、ほ・ん・と・う・に、やってられない。
どうして、あいつは、あのとき、だして、くれなかったんだろう。
ぜったいに、ぜったいに、ぜったいに、だしやがらない。それも、なんかわかっていて、そうしているのではなくて、まったくわからないで、ほんのだいいちいんしょうで、なんのかんがえもなくきめてしまうのだ。ところが、いちどいいだすと、がんこで、なにをいおうが、けっしてうごかないのだ。ぜったいに、うごかない。げんばくをとうかしてもうごかないだろう。ともかく、いわのようにがんこで、いちどいいだすと、まったく、みているこっちが、はらただしくなるほど、がん、として、いわのように、うけつけない。ほとんど、かたくなな、めいしんにちかいものがあって、いちどいいだすと、なにをいっても、だめなのだ。うけつけない。 それにあいつは、じぶんのすきなように、
いいか、
じぶんのすきなように だ! じぶんのすきなようにしか、あいてにしてやらない。
これは、もう、ひゃくねんまえからそうなんだ。まったく、はなしにならないけど、じぶんがすきなようにしか、あいてにしてやらない。そして、それを、かたくなにおしとおすばかりか、しまいには、じぶんもはらをたてて、いきりたって、まるで、ひゃくねんらいのあざかえすように、『ぜったい、やってやんない』という。おれのすきなように、おれのおもうようにしか、やってやんないということを、いきりたって、おしとおすのだ。なにをかってやるときでもそうなのだ。どんなつまらないものをかってやるときでも、このたいどはかわらない。あいつが、けちなことで(ほんにんはそうもっていない)どんだけ、こっちが、やなおもいをしたか、わかったもんじゃなねぇんだ。それで、ほんにんは、まったく、それがわからない。わからないどころか、さいしょっから、はねつけていて、おそらく、わかるのがやなんだ。あるいは、わかるなにかこんぽんてきなものが、ないか、かんぜんに、はかいされている。これはもう、ほんとうに、ひとなみではないのだ。ひとなみのけちではなくて、100ねんらいのおんねんのこもったけちで、これは、ほんとうに、はたでみてても、いたたまれない。なんか、ひそうかんのある、なんか、はらだちはんぶんの、それでいてまったく、こぶのようにちからずよい、けいようしがたい、ともかくふつうではない、かんじょのかたまりがあるのだ。それが、けちだ。けちというよりも、かねをつかいたくないのだが、ほんとうに、なにかこどもにものをかってやるときでも、じぶんのこつにくをうばわれるようなかんじなんだ。よくも、こいつらは、おれのこつにくをとりやがって・・といういたいたしいような、こわいような、せめているようなはらだたしいような、なんだかわからないじょうたいになってしまうのだ。それが、、、、、いっつもなんだ、 おかしいだろ! わらってくれよ。 おれなんて、いっているあいだに、なんだか、まんめんにえみがこぼれてきちゃったぜ。
なんだか、しんないけど、ほんとうに、おわらいだ。
おかしくなる。 ほんとうに、たまったもんじゃねぇ!! ありゃ、いったいなんなんだ!!
ともかく、
じんじょうしゃない。 まったく、こまったもんだ むかむかする