これも、恥ずかしい文章だな。
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『コンピューターが人間のつきあいやカオスのようなものをうばっている』--『パソコンをやっている子は、ほかの人とうまくコミュニュケイションができない』--『今の子供は、機械をとうしたコミュニュケイションしかできなくなってきているのではないか?』・・・ 『まるで、ラッダイトじゃないか』
いったいこのひとたちの描く機械への恐怖心とは何だろう。まあ、パソコンに対する恐怖心は認めてやってもいい。ただ、やっぱり、僕には、この反応が気に掛かる。『機械やパソコンが人間どうしのコミュニュケイションをうばってしまった。』『人間のカオスのようなものをうばってしまった。』 ・・だとよ。
こりゃ、まったく逆なんだ。まったくのぎゃく。コンピューターが人間のカオスを奪ってしまったのではなく、コンピューターが人間のカオスの結果なんだ。コンピューターは人間のカオスを外に、しかも、強烈に押し出したものなのだ。だから、ぼくは、強烈である分、『恐怖心はわかる』といったのだ。しかし、これだけ、ネガティブな考え方が多いのはどうしてだろう。(###コンピューターっていうのは、人間の脳内の機能を外に出してしまったわけで、その点からいけば、人間の脳内のカオスの一部の結果としてあらわしているにすぎない。)
###ただ、自分の能力の一部を、見せられているというのが、やなんだろうなあ。