機械が人間の流出物である以上、人間は機械の部分をもっているわけだから、人間性を奪うどころか、人間性をドバンと前にあらわしている。 ともかく、流出物 機械っていうのはだなあ、・。人間の機構の一部だよ。人間が人間としてつくられている以上、筋肉の組織や神経の組織が必要だろう。それらをぬかして、人間はなりたたないのだからた。まず、まちがいなく、一部なのだ。筋肉や神経があるから、『「人間性」がなりたたない』・なんてことはないし、だいいち、ナンセンスだ。だとしたらだよ、たとえ肉のうえに精神がつくられるにしろ、精神だけでは、存在はできねぇよな。人間のからだというのは、人間の精神の、いわば、土壌だ。 そのどちらもが『人間的』なものだ。いっぽうを憎んじゃいけないよ。 それで、だ、 機械っていうのは、外にあらわれた人間の機能の一部だから、気に食わないと思うし、おそれる理由もある。
人間が気に食わないのは、似たものが、あるいは、機能の一部が外に出ているということなんだ。(ラッダイト運動の本質はここにある。) つかう人間
『支配できないかもしれない』というこころが問題であって、機械自体は問題ではない。だから、機械自体をうちこわしても、問題は解決しない。
機械にしてみれば、機械が人間性を奪ったなんて議論は、いいつらのかわでさあ。ほんとうに、気持ちがあったら、そっぽむいて、あいてにもしてくれないよ。