俺、91年の頃の、自分の文章を昨日読んでいて、死にたくなったよ。
あ~~。ぜんぜんまとまってないな。本当に、思考が拡散していくタイプなんだよな。で、実は百科事典的な書き方に嫌悪感がある。そんなの誰だってできるだろみたいな部分がある。その、百科事典的な書き方じゃないとダメなんだよな。系統立てて、物事を説明する。
アメリカでは、説明するときに、相手がまったくなにも知らないという前提に立って説明するという傾向がある。だから、経済学の教科書を書くとすると、当たり前のことから、ずっと、説明することになるから、1000ページぐらい必要になる。経済学の教科書と言っても、一種の入門だ。ソフトウエアの話をするときも、相手がそれについてなにも知らない、というところから、説明するのが一般的だから、説明がおそろしくくどくなる。
まあ、俺が書いた文章は、他人に説明するための文章じゃない。自分で考えるための文章だ。しかし、書き方が、観念的だ。観念的すぎる。
学校の制度のことだって、本当はいちおう、ちゃんと説明した後に、自分の考えを説明しないと、ぜんぜん、他人にはわからないところがある。行動様式とか、近代化とか、近代学校システムということについて、俺が知っていることを、ちゃんと説明した後に、俺が自分で考えたことを説明しないと、読んだ人は、なにがなんだかわからない。
まあ、いいけどさ。自分のための文章なのだから。
で、近代学校システムというのを説明するとなると、ものすごく大変なんだよ。ほんとうに大変。