ほんとうに、どうしてか・なんてきやすくきいてほしくないぜ。てあかがつく。
たとえば、なかじまあつしのさんげつきで、びみょうなてんにおいてなにかがかけているようなきが・』の、びみょうなてんとはなにか・ なんてきやすくきいてくれるんだけど、ほんとうに、あほとしかいいようがない。なにかびみょうなてん・といっているのだから、なにかびみょうなてんにきまっているじゃないか!! だいたい、どうしてかとか、きやすくきいてほしくないね。たまたますきなはなしだと、めっぽう、やになる。どそくではいるな! だいたい、ほんとうにただしいぶんしょうっていうのは、は・はである』としかいえない。これがいちばんただしいぶんしょうなんだ。ほかのぶんしょうはこれにくらべてまちがっていることになる。おんなじように、どうして・か については、 ・・だから・とそのままこたえるしかない。たとえば、どうしていたいか・ については、 いたいから〃がいちばんのせいかいなのだ。なんでなら、それは、いちばんまちがえのすくないぶんしょうだから。どうして、そういうきもちになったか・ にたいするいちばんのせいかいは、『そういうきもちになったから』なんだ。きまってるじゃないか。
どうしてか・なんてことは、そんなによういにせつめいできるものじゃないんだ。たとえば、どうしてあめがふるか・だってよういにせつめいできるものではない。どうしてあめがふるかということをせつめいするためには、そのすべてのぷろせすをせつめいしなければならない。これは、とうていむりだ。たとえば、ぎょうけつかくにすいてきがくっつくとすると、どうして、ぎょうけつかくにすいてきがくっつくことができるか・をせつめいしないと、かたておちのせつめいになるわけだ。そして、それはさいげんなくつづいていく。いっぽでも、あめがふるからをでると、そこには、せいかくにはせつめいできていないというていどのちがいしかない。さいしゅうてきには、よくわからない・ということになるだろう。(###まちがいかよくせつめいできないのていどのちがいしかない。いできてないていどのちがいしかない。)ぶりつかがくでさえ、このありさまなんだ。ひとのきもちについて『どうしてか』なんてきくな!っていうんだ。
どうしてか・なんきかれると、おれはおもうね。なにが、どうして・なんだ!!